専門学校入学と私の誤算

平成元年4月
4月になり、専門学校の音響工学科に通う日々が始まった。今までは、新聞配達で朝早く起きても、睡眠時間はそれなりに昼寝で補っていたが、学校が始まると、そうもいかなくなった。

ちなみに、難関は木曜日だった木曜日は午前中が実験・実習で、午後が「芸術学」という結構眠〜い授業だったからだ。さらに、この学校に宿題は無いという話だったが、実験・実習のレポート提出があるというのが最大の誤算だった。しかも提出期限が木曜だから、前日の水曜日は寝る時間など無く、芸術学の時間は教室の最前列で眠ってしまうことも珍しくなかった。
しかし、それでも文字や図を書くのが遅かった私には、どうしてもレポート提出が間に合わなかった。結局この誤算が元で、私は学校を辞めるか新聞配達をやめるかの岐路に立たされることになった。
結論から言えば、4月いっぱいで新聞配達を辞めることになった。(結局2ヶ月しか続かなかった)

新聞配達を辞めることができた理由
私の学生時代、私の父は運転手としてタクシー会社やバス会社を転々としていた。ちなみに、私が地元工業系高校を断念した時期、私の父は地元でも給料が安いことで有名なタクシー会社に勤務していた。その理由は個人タクシーを目指していたからだった。(当時)個人タクシーの試験を受けるためには法人タクシーでの運転手としての実務経験をタクシー会社に証明してもらう必要があったのだが、それに応じてくれるタクシー会社は多くは無く、結果的に待遇の悪い会社を選択しなければならなかったという事情があったのだ。
しかし、私が専門学校に入学する頃には、父も、めでたく個人タクシーの試験に通って開業できたので、それなりに何とか仕送り可能な所得になっていたのだ。

アパート探し
新聞配達を辞めれば、当然新聞販売店には居られなくなるので、4月下旬にアパート探しをすることになった。当時東京の地理をよく知らない私に、同じ新聞販売店の大学生K先輩が全面協力してくれ、程なく家賃4万2千円のワンルームを見つけることができた。
実は、当時はバブル絶頂期、学生アパートでも4万2千円は格安だった。ちなみに私の同級生達は6〜7万くらいの物件が標準だった。

訳あり物件
ちなみに、築2年の格安物件は、それなりの「訳あり物件」だった。私にとっては学校まで歩いて通える範囲だったので、それなりに経済的メリットはあったのだが、治安が悪かったのだ。
深夜になると、付近でガラスの割れる音が頻繁に聞こえる。そんな日が週に1回くらいはあるのだ。日が暮れたら必ずベランダ側の窓はシャッターを閉めるのが私の日課だった。
翌朝、通学途中に付近を見回すと、割れたガラス瓶が路上に散乱していたり、破壊された自販機が無残な姿を晒していた。
私は、約1年10ヶ月をこのワンルームで過ごすことになるのだった。

自販機は治る(笑)
驚いたのは、自販機は何度破壊されても、必ず1週間くらいで修理されていた。付近の人の話では、保険に入っているとのことらしかった。

テーマ : 特別支援学校教育 - ジャンル : 学校・教育

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