半田ごてデビュー

昭和56年4月〜57年3月
6年生の頃、何月頃かはよく覚えていない。
これまで取り上げてこなかったが、当時の小学生(男子)の誕生会のプレゼント人気No.1はプラモといわれるほど、当時プラモデル製作はメジャーな趣味だった。

私も3年生の頃からプラモに挑戦してきたが、3〜4年生頃は、なかなか完成に至らなかった。
しかし、5〜6年生くらいになると、徐々に図面の見方分かってきて、それなりに完成確率は上がってきていたのだった。

6年生のある日、私は電動の戦車のプラモを組み立てていた。
プラモをちゃんと組み立てられるようになると、私の中にある不満がくすぶり始めた。
通常当時のプラモはスイッチや電池端子などに電線を繋ぐとき、端子の穴に電線を通して手でねじって固定していたのだが、この方法だと接触不良に悩まされるのである。
仮に、製作直後は良くても遊んでいるうちに必ず接触不良が起きる。私はこのトラブルがどうしても許せなかった。

そこで目をつけたのが親父の道具箱の中にあった半田ごてと半田だった。
しかし、当時は半田付けする場所をうまく拡大する手段がなかった。授業はルーペなどの拡大鏡を左手で持って、右手に鉛筆を握ればよかったが、半田付けはそうは行かない。左手に半田、右手に半田ごて・・・拡大鏡が持てない(^^;
仕方がないので、だいたいの位置だけを見ながら勘で半田付けすることにした。しかし、勘による半田付けはなかなかうまくいかず時間がかかる。何とか半田付けできたときには、時間をかけすぎて半田の表面は光沢がなく、くすんだ色になっていた。

時間をかけた半田付けの後、半田付けの済んだ端子類を戦車の車体に取り付けた。半田付けの出来は、お世辞にも良いとはいえないものだったが、その戦車は手ひねり接続のときとは劇的に違う良い走りを見せてくれた。

その後私は半田付けにはまることになるのだが、勘でやっている間はなかなか成功率が上がらなかったのであった。

テーマ : 特別支援学校教育 - ジャンル : 学校・教育

COMMENTS

COMMENT FORM

TRACKBACK


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)